2014/7/9

コーヒーブレイク

KGBの極秘文書公開

この記事の要約

ソ連諜報機関KGBの元幹部ヴァシリー・ミトロヒン氏が1992年に英国へ引き渡した極秘文書が7日、英ケンブリッジ大学の文書館で公開された。数千ページにわたる膨大な一次史料で、KGBの諜報活動を知る貴重な手がかりとして注目を […]

ソ連諜報機関KGBの元幹部ヴァシリー・ミトロヒン氏が1992年に英国へ引き渡した極秘文書が7日、英ケンブリッジ大学の文書館で公開された。数千ページにわたる膨大な一次史料で、KGBの諜報活動を知る貴重な手がかりとして注目を集めている。

この文書は、1972年から1984年までKGB本部の司書を務めたミトロヒン氏が写し取ったものだ。密かに文書を自宅へ持ち帰り、まず手書きで書き写し、それをタイプライターに打ち直した。これらのコピー文書はダーチャ(簡易住宅付き自家菜園)の敷地に埋めたりして隠し、体制転換後の1992年、バルト三国の英国大使館を経て英国にわたった。ミトロヒン氏も英国に亡命し、2004年に81歳で亡くなるまで、偽名で暮らしていた。

さて、この「ミトロヒン文書」の内容だが、妨害活動の具体的な進め方から主要都市における兵器の隠し場所、スパイの名簿までを網羅し、「諜報活動事典」といって良いという。

その一部を用いて、歴史家のクリストファー・アンドリュー氏が1999年に発表した著書『ミトロヒン文書第1巻』(第2巻は2005年発行、いずれもミトロシン氏との共著)では、「英国の原爆情報を流し続けた女性秘書」や「酒飲みで口の軽いケンブリッジ大出身スパイ」の名前が公表されて波紋を広げた。

米国でも安全保障局(NSA)職員がソ連に情報を売った事実が発覚し、その職員に18年の懲役刑が課されている。

今後は、西側機関・研究者だけでなく、かつての「同胞」であった旧東側諸国の利用が進みそうだ。例えばチェコでは、1968年の反体制運動「プラハの春」をめぐるKGBの活動の実態解明に期待がかかる。