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2010/10/27

経済産業情報

ローマとルター、500年目の和解?

この記事の要約

ローマとルターは水と油の関係である。ローマからみればルターはキリスト教の普遍性を体現するカトリック教会を真っ二つに引き裂き、プロテスタントを産み出した「張本人」に他ならない。ルターの側もローマを「ネズミの巣」「悪魔の巣窟 […]

ローマとルターは水と油の関係である。ローマからみればルターはキリスト教の普遍性を体現するカトリック教会を真っ二つに引き裂き、プロテスタントを産み出した「張本人」に他ならない。ルターの側もローマを「ネズミの巣」「悪魔の巣窟」などと罵詈雑言の限りを尽くしている。

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そのルターがローマにおもむいたのは宗教改革を開始する7年前の1510年11月、今からちょうど500年前のことである。そうした事情があるせいか、ローマ市はこのほど、ルターの名前を冠した「通り」ないし「広場」を設置することを決定した。

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場所は未定。市当局は独メディアの取材に対し「極めて重要な人物のため、新興住宅地地区ということはない。ただ、旧市街には(その候補となりうる)無名の広場や通り、緑地が少ない」と語った。

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ルターに関係のある場所が選ばれるとなると、有力なのはポポロ広場周辺である。ドイツからの長旅の末ローマ市に最初に足を踏み入れたのがここだと推定されるうえ、広場近くのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の隣には宿泊先となった聖アウグスチノ会の修道院もあったためだ。ローマにあるルター派教会の牧師は、ポポロ広場からピンチョの丘に向かう途中にある無名の通りを有力候補とみている。

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『南ドイツ新聞』によると、ローマではかつて、ドイツのプロテスタントがミサをあげるにはプロイセン大使館のチャペルを利用する以外に手だてがなく、ローマで死亡したプロテスタントは非カトリック教徒用の墓地に深夜ひっそりと埋葬されたという。「ルター通り」なり「ルター広場」ができれば、そうした出来事は一段と遠い過去へと押しやられ、ドイツからは大量のツーリストが押しかけるのではかなろうか。

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